学校図書館つまり図書室で働いている司書先生。
––なんか、ちょっと文学的な感じがする。
なんて、勘違いをしたのが2024年、今からちょうど1年前になる。
昭和生まれの40代。
何か、なさねばならないのではないか?生きる意味とか仕事の価値とか?
そんな折に、動画だったかブログだったかで「自分の強みを活かして発信しよう!時代は発信☆」みたいな情報を見たのだ。
--これだ!図書室の先生って、強みなんじゃない?発信とかしてみたらいいんじゃない?!
つまり、読書推進をSNSでやってみようと思いついちゃったのだ。
若気の至りならぬ、中年の暴走である。
こわい。怖いものなしなのがこわい。
そもそも、発信☆の時代は、かなり以前から構築されていたわけで。その時代に発信していなかった時点で、SNSとか発信☆に乗り遅れている=興味がないのだ。
ちなみに、ここでいう発信☆とは、キラキラと映えていたり、誰かの役に立ったり、楽しませたりするコンテンツを指している。まさに☆マークがふさわしい内容である。そんな、選りすぐりの精鋭たちに交じって、いまさら発信て。
結論からいうと、一度、完全に心が折れた。そのきっかけとなる出来事は、ある超絶素敵なイラストレーターさんに、ブログのトップ絵を描いてもらったことである。本当にお人柄も素晴らしく、イラストも心を込めて描いてくださる神さまみたいな方だった。
--こんな方になりたい。
私の中の枯れかけた「素敵センサー」「憧れセンサー」がフル稼働した。ながらく使っていなかった反動か、イラストができてくるまでの1ヶ月。自分の思いつくかぎりの「なんかよさげ」というイメージを駆使して、仕事柄よく扱う「絵本を紹介する」という発信を行なった。楽しかった。有意義な時間だと信じていた。
思った通りの、理想的なイラストが出来上がって送られてきたとき、やる気とか自己肯定感とか、そういうものが表面張力ぎりぎりまで高まったのを、私は確かに感じた。お礼のメールを送るのももどかしいくらい、前のめりでブログのトップにそのイラストを貼り付けた。
--あれ?なんだ、この違和感。
その瞬間、全身が固まった。なぜか、冷や汗が出た。運動してもいないのに、心拍数が上がり、指先の力が抜けるのに頭だけがあつくなった。え、これホットフラッシュ?
この日を境に、私と発信との距離はどんどん遠くなっていった。今ならわかる。私という人間性とその素晴らしいイラストとが決定的にずれていたのだ。それは、高級フレンチ料理のコースが並ぶテーブルにプラスチック製パッションピンクの箸を置くような、荘厳なホールで奏でられるモーツァルト弦楽四重奏の横で全力ラジオ体操をするような、申し訳なさ。「なんか、すみません、こんなことして。」と、その場に正座したくなる心持ち。
必死に取り繕ってきた「なんかよさげ」が崩れたのを感じた。そもそも、私が「なんかよさげ」と感じて実際に良かったことの方が少ないのに、そんな自分を客観視できずに発信していたことがめちゃくちゃに恥ずかしかった。ここで、一応言い訳しておくと、紹介していた絵本自体は本当に良いものなのだ。そこは保証する。しかし、それを紹介している本人が、精一杯背伸びして発信しているその姿が残念なだけである。
そんなわけで、今までの発信スタイルを貫く勇気がもてなくなったわけだが(恥ずかしくて)、でも、燻る思いがある。
--学校現場ってめっちゃ面白いんだよな〜!!
これである。正直、毎日腹抱えて笑っている心境。表面では真面目さを取り繕っているものの、「もうそれ以上面白いことしないで!笑っちゃう!!」とギリギリの戦いをしている。いや、割と負けて笑っちゃってるな。学校現場が危機的状況!とか、学力低下が深刻!とか、色々問題があるのは百も承知だし、実際に笑えない問題もあったりする。でも、せっかくなら、面白い面にも着目してほしいし、自分が取り組んでいる読書推進の結果、心あたたまるエピソードが数多く生まれたことを知ってほしい。
誠実に、そして全力で的外れなことをしている40代の司書先生。
そんな私から見えている学校現場、そして学校図書館の景色を、ぜひみなさんにも楽しんでいただけたらと思います。
コメント